【DEZERT・千秋(Vo)】12月27日、来る日本武道館ワンマンに向けてこれまでの変遷と挫折、核心に触るインタビュー
2024年12月27日、日本武道館。ついに辿り着く約束の場所。だが、そこは夢舞台ではなく、バンドを継続させるために必要不可欠なピースである。幻想でも憧れでもなく現実だからこそ、彼らはここまで歩んでこられた。2011年結成のDEZERTにとって、これまでの道のりは決して平坦ではなかった。メンバー・音楽観・思想の変遷。そして、決定的だった2019年の挫折。それらを乗り越えるのではなく、すべてを刻んだままに彼らは来るべきその時を待つ。運命のカウントダウンが始まる最中、フロントマン千秋に現在の心境とこれまでの武道館史を語ってもらった。
自分が今言ってほしい言葉を絞り出してなんとか歌詞にしてる。
──いよいよ迫ってきた12月27日の日本武道館ワンマン“DEZERT SPECIAL ONEMAN LIVE at NIPPON BUDOKAN「君の心臓を触る」”に先駆けて、『傑作音源集「絶対的オカルト週刊誌」』を2枚組で9月25日にリリースすることになりました。こういうスタイルでリリースしようと思った動機はどんなところでしょうか?
千秋:武道館には、初めてDEZERTを観に来てくれる人も多いんじゃないかっていうところで、メンバーから「過去の音源をもう一度出すのはどうだろう」って意見が出たんですよ。あと、正直ちょっと録り直したい曲があったのも事実で、この武道館を控えたタイミングで自分らにとって自信がある曲たちを出した形ですね。
──と言うことは、もともとこういう企画はやってみたいっていうイメージではいた。
千秋:でもね、そこは難しくて。再録やベストっていうものに興味がなかったんですよ。録り直さないほうがいい曲もきっとあるしね。それこそ最初はミニアルバムを出そうって話だったし。ただ、レコード会社の人やDEZERTに関わる人たちとも話をした結果、今までの足跡を出すならこのタイミングだろうと。気持ちよく音源制作した結果、予定が変わって2枚組になったけど(笑)。
──今まで、過去作を集めたオカルトシリーズって2作出てますけど、『暫定的オカルト週刊誌①』(2015年)と『完売音源集-暫定的オカルト週刊誌②-』(2016年)の時は既存曲のテイクって変えてないですよね?
千秋:変えてないですよ。
──今回はそこが大きな違いで、録り直したものもあれば、構成は変わってないけど再度Mixしたものもあります。かつては新しい形にあえてしたくなかったのか? それともそこまで至らなかったのかどちらですか?
千秋:当時は基本的に音に対しての耳が変わってなかったんだよね。多分、人それぞれ耳って聴こえ方が違うと思うんですけど。2011年からバンドが始まって2017年ぐらいまでかな、その6年間は俺が聴こえてる音は基本的に変わっていなくて。ただ、その年の暮れあたりからちょっとずつ感覚が変わっていったんです。
──3rdアルバム『TODAY』(2018年)の制作に入り始める頃ですね。
千秋:うん、その時期。今になって振り返ると『TODAY』以前のものは、当時の俺がいいと思ってたものに対して、もうちょいいい音楽にしてあげられるのにって気持ちがある。もちろん当時のよさっていうものは理解したうえで。でも、今、聴こえてる音が変わったんだからそれは仕方ないじゃないですか。周りにいくら「いや、ここの千秋の歌い方がいいんだよ」とか言われても。いや、お前はそう思うかもしれんけど、俺は思わんしみたいな。
──特にそういった変化を感じたのはどのあたりですか?
千秋:たくさんあるよ。でも、逆に感じなかったのも多くて。例えば、「「君の子宮を触る」」のイントロのちょっと癖のある歌い回しは、今聴いても別に悪くないなと思ったんでRecはせずにMixだけ変えるほうがいいな、とかそういう精査はしましたね。
──『TODAY』が分岐点なのは明白なんですけど、そのあたりから事務所に所属したりと関わる人も増えてきたじゃないですか? 当時そこで得た刺激も影響しました?
千秋:正直誰かと出会って音楽的思想が変わったってことはないかな。それよりも、人間活動をしていくなかで自分に足りないものだったり、直さなきゃいけないところが目視できるようになったりしてきたんじゃない? というか自然となってくるじゃないですか。バンドが上を目指すんだったら。
──なるほど。人的なところから音に派生するのが千秋さんらしいところにも思えます。
千秋:なんでほかのバンドはこういうふうにこうなってるのに、俺はこうなんだろうとか。ほかのアーティストはよく聴こえるんだけど、DEZERTはそうじゃないんだろうって考え出すきっかけだよね。関わる人が増えたことによって音楽の引き出しや、比較する相手が増えたんですよ、良くも悪くも。でも、それは必ずしも近しいバンドだけじゃなくて。俺らは昔から会場BGMで「Yesterday」(The Beatles)をずっと流してるじゃないですか? そこからThe Beatlesに触れたり、Billy Joelを聴いたりもしましたね。なんでこの音楽はずっと残ってんだろう? って疑問が自分のなかにずっとあって。そう考えると『TODAY』が出た2018年は、新しい刺激を受けたんですけど、俺の思想だけがかなり前に出ちゃって周りに強く当たってたのかなと思います。バンドはまだその域に達していなかったのにね。当時はそれで嫌になったメンバーもいるんじゃないかなっていうのはある。
──聴こえてくる音の変化と共にバンドも年輪を増していって整合していった部分もあると思います。今回2曲新曲が収録されているうちのひとつ「心臓に吠える」ですが、日本武道館ワンマンのタイトルとのリンクを感じさせながら、その音像はどこか初期DEZERTを彷彿とさせる荒々しさと重苦しさがあります。
千秋:これはね、“心臓”っていうテーマがあったんですよ。うちは自称・臓器系バンドなんですけど、脳みそを題材にしているものはあるのに、心臓ってないなって。
──確かに! これまでの楽曲には脊髄も子宮もあるし、脳みそもある。なんなら血液や胃潰瘍もありました。
千秋:そうそう。でもね、心臓って出てこなかったんだよね。大事じゃないですか、人間にとって心臓って。これまで心臓を出せてないっていうのは俺の弱さなんじゃないかってふと思って。「脳みそくん。」って曲も“くん。”をつけることによって濁しているっていうか、薄めている感じもしてたんですよ。だから初めは、「ついに「心臓」っていう曲を作ります」と豪語してたんです。それが作り込んでいくうちに「心臓に吠える」に変化していきましたけど。
──核に迫る心臓なんだけど、開いてみると憂鬱であることが日常であるし、自由という概念に嫌悪や恐れを感じる詞世界ですよね。これ千秋さん自身の世界がこう映っているのでしょうか?
千秋:あのね、これは“今の言葉”としか言えないですね。
──と、言いますと。
千秋:この歌詞の景色が目に映っていても、若いうちにこういうことを歌うとどうしても軽くなってしまうんですよ。俺は深みを感じない。「人生には憂鬱なことがたくさんあんぞ」っていうのを、30歳を越えてようやく歌詞にできましたね。同じ風景はずっと見えてるんだけど、若い時には若い時なりの表現があったはずなんです。そういう意味で“今の言葉”。あとね、最近の歌詞に言えるのは、自分自身が言われたい言葉たちなんですよ。誰かに言われたい言葉を作りたいっていう気持ちが強くて。実はずっとそうだったんですけど、自分が言ってほしい言葉を自分で考えて言えるってひとつの到達点だなって俺は思ってて。言えないじゃないですか? そんなこと。
──シンプルなようで難解ですよね。
千秋:多分ね、何も考えずにそれができる人のことをポジティブって言うんだよね。でも俺はそうじゃないから、自分が今言ってほしい言葉を絞り出してなんとか歌詞にしてる。そもそも自分に言ってほしい言葉を考えるのってかなりナンセンスなんで、いまだによくわからない。今ってみんな憂鬱じゃないですか。だけど、憂鬱なんだから頑張れよって言われてもそんな歌って微妙じゃない? と思って。そんなこと言われても俺には響かない。だから憂鬱すらもはや普通で別に不満もなくない? っていうところに行きつきました。
──達観しているというか、ある種の悟りでもある。
千秋:そうそう。というか、そう思うようにしているっていうことですよね。だから自分に向けた言葉。
──それをどう受け止めるかは聴き手次第ですけど、むやみな諦めには聴こえないのが今のDEZERTっぽくて。この曲で露わなのは、自由への恐れや嫌悪ですけど、千秋さんにとって自由ってなんですか?
千秋:DEZERTってほぼほぼ自由にやってきたバンドだと思ってるんですね。2015年に前のギタリストが辞めて、Miyakoが加入してからを“DEZERT 2期”って俺は呼んでるんですけど、あの頃は特に自由だったんです。活動も自主だったから好きにお金も使えて、派手にMVも撮ったりしてたけど、あの時はマジで楽しくなかったんですよね。今思うと。
──そうなんですね。
千秋:何も楽しくない。自由にやるってことは、無駄なものを背負うっていうことだと俺はそこで思っちゃったんですよ。最近若いバンドの子とかと話すと、大概自分たちで切り開いていきたいって言うんですよ。もちろん自分でマネジメントしたり、自分でやりたい音楽をしたっていいですけど、俺はやりたい音楽をやることに対してすごく恐怖がある。自分がいいと思ったものを出すって簡単なんですよ、マジで。バンドに限らず、やりたいことやるのが難しいって言う人いるけど意味が理解できない。やればいいじゃんっていう。例えば、俺らでもやりたいこと……じゃあ明日いきなり池袋BlackHoleでライヴやりてえよとなって、それをやったとして、おもしろくなくない?
──叶いそうな範疇かも知れないですもんね。
千秋:結局、自由ってやりたい時にすぐ叶えられるものなんですよ。それでは達成した時に抱き合えない。コロナの数年間なんてバンドどころか音楽すらできない時期もあったじゃないですか。でもあの時期のなかで苦心しながら成し遂げたことって、自分の自由にやりたいことやってる時より何倍も生きてる実感があった。やっと気づいたんです。
──なるほど、枷があることによって。
千秋:なんでバンドをやってるのか、不自由だったからこそみんなで音を合わせることの意味に気がついた。それが不要ならソロアーティストを目指せばよかったわけで。最初は赤の他人だった人とわざわざ音を出すって理由って、何かを共有したいということなんですよ。だから、俺らはあえて目標をファンの方に伝えてきた。武道館もだし、その前の渋公(現:LINE CUBE SHIBUYA)も。去年の渋公でそれを成し遂げた時にすごいなんとも言えない高揚感が得られたんですよ。