【水上クリニック】初スペシャルインタビュー◆唯一無二の医療系バンドを掘り下げる。11/13(木)新宿club SCIENCEにて周年主催<水クリ開院1周年!6本番160分スペシャル>開催!

2024年11月に始動した水上クリニック。
ボーカルのKevinが本物の医学生という、他に類を見ない医療系バンドだ。
VISUNAVI Japanでの初インタビュー。結成から1年を迎える彼らに、バンドの成り立ちから音楽のルーツ、そして未来への展望まで、たっぷりと語ってもらった。
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────2024年11月始動ということなので、今年の9月でちょうど1年ぐらいですが、結成自体はもっとその前から水面下で動いていたのでしょうか。
HiROM:そうですね、水面下で。Kevinがそういう話を持ってきて、メンバーはなんとかするから、みたいな感じで。
Kevin:最初は多分そうでしたね。なんかやりたいなと思って。まず昔バンドをやってた時、一人で曲を書いてたんですけど、もう一人ぐらい書ける人が欲しいなみたいな感じで思ってて。で、昔ちょっとサポートしたりしてもらってつながりがあったHiROMが曲書いたりしてて、自分と似たような感じの曲を書くのでちょっと声をかけてみました。
────そこからフミトタチバナさんとRYOさんを、お二人が声をかけていったと。
Kevin:まず、自分がベースのRYOとバンドをやっていたので、そこに声かけてOKで。それからフミトは中学校から同級生なんですよ。だからそこで声をかけて。ドラムのLanaも前からちょっと知り合いだったので声をかけてみたら、なんか暇そうだったので(笑)OKと。
────ではKevinさんが中心になって、声をかけてみんなで集まってやろうと。
Kevin:そうですね。
────医療系というのは最初からこのコンセプトが決まっていた感じですか?
Kevin:最初HiROMとバンドやろうってなった時に、自分が今大学の医学部に通っているんですが、ちょうど自分がやるなら医療系だろう、と。何系って言っても、その中で医療系は今あまり多くないし、自分が医療系だったら他の人に負けないかな、と。
────本物ですもんね。
HiROM:エビデンスですね、マジで。
Kevin:競合がいないし、自分がやる意味があるコンセプトがいいなと思っていて。HiROMに話したら、それで行こう、となりましたね。
HiROM:秒で決まりました。
────医療用語が楽曲やMVにも入っていますよね。
HiROM:そうですね。そこはKevinがちゃんと書いてくれています。
────医者を目指すようになったきっかけは何だったのですか?
Kevin:コロナが流行した時に、色々なバンドが解散したり活動休止になったじゃないですか。それで、自分もバンドをやっていたのですが、もれなくそれももうちょっとダメだなと思って活動を止めて。その時、ふと医師免許を取ろう、医師免許を取って医療系のバンドをやろう、とその頃から薄々思っていまして。
────コロナがきっかけだったと。
Kevin:そうですね。1日12時間、勉強しました。それまでも親が凄く厳しくて勉強はかなりさせられていたので、そういうのは慣れていたんですけど。
────ライトにおっしゃってますけれど、かなり過酷な努力をされてきたかと思います。「水上クリニック」というバンド名も、医療系というカテゴリーから付けられた?
Kevin:まずバンド名を何にしようかと思ったときに、「〜クリニック」にしたいと自分が言って。自分の本名の苗字が「水上(みずかみ)」なので、HiROMが「Kevinがボーカルだから、その本名の“水上クリニック”で行こう」とゴリ押ししてきて(笑)。
HiROM:あ、でもこれは僕もちょっとふざけてはいたんですけど、半分本気で。やっぱりボーカルはメインの人間じゃないですか、フロントマンなので。ボーカル5割で残りのメンバーで残りの5割を担うぐらいの勢いで、ボーカルを立てるみたいなイメージでいたので。そういうところがちょっとメイクとかにも出てたりするんですけれど。「水上と仲間たち」みたいな感じでも考えてて。
────そうなんですね。バンドを作られた中心人物もKevinさんですしね。それでは、皆さんが影響を受けたヴィジュアル系バンド、アーティストをひとりずつ探っていきたいなと思います。まずはKevinさんから。
Kevin:一番最初に衝撃を受けたのは、「ネオビジュアル系 真夏の宴」っていう番組がNHKで放送されたじゃないですか。
────ありましたね。
Kevin:あれを見てかっこいいなと思って。それからSHOXXやFOOL'S MATEみたいな雑誌を見たり。ちょうどその「ネオビジュアル系」が流行っていたので、その世代の曲はめちゃくちゃ聞きあさってましたね。

────なるほど。ではフミトタチバナさん。
フミトタチバナ:NIGHTMAREさんです。僕はギタリストきっかけでギターを始めた訳ではないんですけど、後付けではありますが咲人さんが大好きになりましたね。こういう方がいるんだ、と。中3の終わりだったと思います。
────Kevinさんとは同級生だったんですよね?
Kevin:そうですね。ほぼ喋ったことはなかったんですけど、席が前後になりまして。それでなんかギターをやってる、とちょっと耳にして。
HiROM:そんな深夜アニメみたいな生き様あるんだ。
Kevin:そう。それでその時流行っていたNIGHTMAREさんとかシドさんとかのコピーを始めて。

────本当に深夜アニメみたいな青春のひとコマですね。HiROMさんはいかがでしょうか。
HiROM:はい。ヴィジュアル系だと、もう自分の中の二強はLAREINEと餞~ハナむケ。~です。
────それはどんなきっかけがあったのでしょうか。
HiROM:そもそもKAMIJOさんが好きで、特にLAREINE時代のKAMIJOさんが大好きで。
────餞~ハナむケ。~は?
HiROM:当時はギャ男で…まあ今もギャ男なんですけど。その当時はCDを買い漁るタイプのギャ男だったんですけど、CDの試聴機が色んなCD屋さんに置いてあって。それで餞~ハナむケ。~の『高視聴率~ニュースキャスター平田超鬼地32歳の場合』っていうCDがあったんですけど、その1曲目の最初に入っているコントを聞いて大爆笑しちゃって、すぐにそのCDを買って。それでちゃんと曲を聴いたら、Aメロ、Bメロ、サビみたいな起承転結を無視した曲ばっかりで、なんじゃこりゃ!?って衝撃を食らってしまって。そこからですね。

────型にはまらないHiROMさんの基盤を作ったのはそこだったと。それでは次にRYOさんはいかがでしょう。
RYO:自分はLUNA SEAのJさん一択ですね。
────LUNA SEAを聞くきっかけは何だったのでしょうか。
RYO:『IMAGE』っていうアルバムから入ったんですけど、Jさんがかっこいいなと思って、男らしくて。そこからずっとですね、もうJさんしか追いかけてないです。
────ではもう、Jさんがきっかけでベースを始めた!みたいな感じですか?
RYO:そうです、そうです。今も目の前にJさんのポスター貼ってます。それを見ながらZoomしてます。
Kevin:怖えーな(笑)。
HiROM:確かにすぐ脱ぐしな、RYO。
RYO:そうなんですよ。ステージで自分結構脱ぐんですけど、あれもJさんへの愛とリスペクトを込めてやってます。

────Jさんへの愛が伝わってきます(笑)。次は最後、Lanaさんお願いします。
Lana:L'Arc〜en〜Cielさんを一番よく聞きましたね。Janne Da Arcさん、Acid Black Cherryさん、あとはシドさん。
────ある意味王道ルートを。
Lana:そうですね。どっちかというと自分はJ-POP寄りの人間なので、あまりヴィジュアル系を聞いたことがなくて。アニソンとかも結構好きだったので、例えばアニメのオープニングになっていた曲がたまたまヴィジュアル系の方がやっていたとかで、そういった曲をコピーしたりっていうことはありましたね。
────好きなドラマーさんなどは居ますか?
Lana:自分はジャズも好きで、一番好きなドラマーが「Buddy Rich」っていうジャズの神様みたいな人なんですけど、その人が好きです。
────すごいですね、突然ジャズ!自分のプレイスタイルに一番影響しているドラマーは?
Lana:またちょっとヴィジュアル系じゃなくて申し訳ないんですけど、菅沼孝三さんっていう通称「手数王」って呼ばれている方がいたんですけど、この方のプレイスタイルが好きでしたね。
────そういったジャンルの方々を知ったのは、どなたかご家族とか友人とかのきっかけで?
Lana:叔父さんにドラムを教えてもらったことがあって、その人からこういうドラマーさんもいるよっていう感じで色々教えてもらった感じですね。
────じゃあその叔父さんが、ドラムがプレイできた方だったと。
Lana:そうですね。最初にその叔父さんから習ってドラムを始めました。



