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【KAKURIYO PANDA.・さの。】◆独占インタビュー◆アンティック-珈琲店-20周年を経て見えた景色。4月27日、来たる始動に向けて”カノン”ではなく”さの。”として語った。

アンティック珈琲店-20周年イヤー渋谷公会堂2DAYSからおよそ3ヶ月。
カノンではなくさの。という名義で嬉しい報告が届いた。
パーマネントな活動を念頭に置いているという新バンドの名は「KAKURIYO PANDA.」。
アンカフェの活動の充実度、そしてそれがもたらした新たな感情。
新人も交えたという意欲的な体制を、飾らぬ言葉でさの。が語った。
427日池袋RED-Zone ANERISへの予習として是非読了してほしい。

 

またアンカフェが動く時を待っていてください



────
名義がカノンさんではなくさの。さんになっているんですよね。今回もともと2019年に始動していたKAKURIYO PANDA.が新メンバーを迎えて改めて始動するということなんですがまずはさの。さんに激動の1年を振り返っていただきたいんですよ。2023年はカノンさんもといさの。さんにとってどんな年でしたか?

さの。やはり不思議な1年ではありましたね。2023年の1月から今年の1月までアンティック珈琲店の活動期間だったので、ライヴがない時間も含めてアンカフェ漬けというか、例年にはない特別なスイッチが入っていたと思います。

────ライヴの本数で言うと、12ヶ月で合計6本ではあったものを12ヶ月間ずっとアンカフェのカノンとしてのスイッチが入っていた。

さの。そうですね。うん、そのモードでしたね。ライヴ以外も業務連絡じゃないですけど、細かなと確認を取る作業例えば写真のチェックだったり、そういうのもすごい懐かしかったなぁ。活動休止前はね、段取り的にも慣れた作業だったんですけども、今となっては逆にそういう細かい仕事もこだわったり楽しいもんだなぁと感じた1年でした。

────その当時日本武道館でワンマンされてた頃とかっていうのはもうやはり多忙を極めて

さの。:そうですね。ちょっと浮世離れしてましたけど、やっぱ人間ってないものねだりなので、その当時は休みが欲しかったというか、のんびりした時間が欲しいなって思ってましたけど。逆に今になるとあんだけ濃密な日々を過ごしてた楽しかった素直にそういう気持ちになりました。

────昨年のアンカフェさんの活動は傍から見ていてもいいチームだなというかメンバーさん同士の関係も、裏方のスタッフさん、さらにはファンの方との絆をすごく感じました。関わる方々が尊重し合ってその時間やバンドを愛し合っていることが。ちなみに最後、渋谷公会堂2DAYSに向かっていくときって寂しさと楽しみとどちらの感情が勝っていました?

さの。:あぁ、でも僕は楽しみが強かった気がしますね。今回ああしてまた1年やれたっていう前例じゃないですけど、この先また集まろうよできっと集まれる関係性だっていうものが確立できたような気がしました。今回大丈夫だったからまた次回もきっと大丈夫みたいな。最初、2019年に活動が止まった時は、それぞれみんな新たな動きとかも決めてたし、音楽から離れるメンバーとかもいたし、なかなか今後集まるのは難しいかなって感じだったんですけど、その空白の数年間でそれぞれがその場所で揺るがないものを生み出せたと思うので、アンカフェを集まってやれるっていう余裕が生まれたのかな。なので、またアンカフェが動く時を待っていてくださいっていう気持ち。生涯の別れではないです。

────再始動のアンカフェのお客さんを見ていると若い男子が多いのも驚きでした。

さの。:ですよね!それは驚きました。僕も学生時代ヴィジュアル系バンドが大好きで、僕はバンドをやる側に進んだけれど、ずっと観るのが好きだったんですよ。だから社会人になったり、一般社会で働いていたら、自分も時を経て思い出のバンドを観る側になっていたのかなとかはふと思いますね。嬉しいことです。

────アンカフェの更なる未来を感じさせるような瞬間でしたよね。ライヴ自体もエンタメ特化しているというよりは、きらびやかなステージなんだけども、楽曲とメンバーさんの魅力にフォーカスしてそぎ落としたというか、すごいシンプルなものだからこそ強靭さが際立つものでした。ちなみに最後みくさんが嗚咽を堪えれらなくなった瞬間は実際どう思われました?

さの。:正直ワンテンポ遅れて気づきましたね。最初なんか喉に引っかかったの?みたいなに思ったんですけど()うんびっくりしましたね。リハとかでそんな素振りはなかったし、沈んでる様子とかも全くなかったんで。僕もお客さんと同じ感じでした。みくさん頑張れーって()

────やり遂げたっていう感情もあったのかその本心はみくさんのみぞ知るっていうところですけども。ただ、あの渋谷公会堂2DAYS以降、カノンさんではなくさの。さんとしては、何をされたんでしょう。

さの。:渋公終わってちょうど終わってから、ようやくKAKURIYO PANDA.始動に向けて準備を進めてました。

────やはり1年間アンティック珈琲店の活動を通して、再びバンドっていいなという感情も湧いてきた。

さの。:もちろんそうですね。例えばスタジオでのリハーサルなんてバンドとして当たり前のことなんですけど、そういうこともすごい楽しかった。撮影だとか、バンドでのお仕事で生まれるのが、すごい楽しいなぁと思うし、それが一人じゃないっていうのが改めて良かった。だからこそもう一回、一から歩き始めてみたい気持ちが生まれたんです。バンドやりたいんだったらアンカフェでいいじゃんって思う方もいると思うんですけども、みんなそれぞれの今やってることもあるし。そこに専念できる環境でもないし、そうなったらやっぱり新しく立ち上げてもう一度バンドの青春というか、楽しいことを始めてみたいな思って、KAKURIYO PANDA.を結成させていただきました。

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