【umbrella・唯 × 有村竜太朗】ギターをこよなく愛するふたりのヴォーカリストが辿ってきた道程と、記念すべき新たな一夜へ向けた語らい

時は巡り、ギターを愛するふたりのヴォーカリストは今改めての共演を実現することになったという。来たる6月23日、心斎橋BIGCATにて開催されるumbrella主催のイベント<路地裏サーチライト>に出演することが決まっている有村竜太朗は、umbrella・唯にとって「この世界でもギター&ヴォーカルでやっていいんや」という希望の光を与えてくれた存在であるそうだ。ゆえに、ここでの彼らは、それぞれのギター遍歴やギター&ヴォーカルというスタイルについての考え方をとくと語っている。また、このたびの共演へと繋がる直接的なきっかけになったという、京都でのナイトドライブについての秘話もここに公開しよう。
◆ ◆ ◆
僕がギター&ヴォーカルを始めたのは、Plastic Treeがきっかけ(唯)
────来たる6月23日に大阪・BIGCATにて開催されるumbrella主催の<umbrella presents 路地裏サーチライト>に有村竜太朗さんが個人活動の一環として出演されることになりましたが、唯さんが初めて竜太朗さんと会われたのはいつ頃のことだったのでしょうか。
唯 初めてご挨拶をさせていただいたのは、13年前くらいのことだったと思いますね。心斎橋FANJでPlastic Treeのライヴがあった時に、その頃はまだビラ配りをよくしていたので、前から仲が良かった店長に「その日、ビラ配りをしていいですか」っていうアポイントを取りつつ、無理を言って竜太朗さんにご挨拶をさせていただいたんです。
────竜太朗さん、その時のことは覚えていらっしゃいます?
有村竜太朗(以下、竜太朗) それがあんまりよく覚えてなくて(笑)。でも、umbrellaっていうバンドがいるっていうこと自体はそのへんの時期からなんとなく知ってて、面白いバンドだなぁと。うちのベースの長谷川(正)さんと春(umbrella・Ba)くんが知り合いになってたみたいだし、唯くんは大阪だけじゃなくて京都FANJとかにも来てくれてたから、気付いた時には「楽屋によく挨拶来てくれる子だな」っていう感じになってました。そうやって知り合い関係になってからは、僕がたまにやってた弾き語りみたいなやつにお誘いして出てもらったこともありましたね。その時の打ち上げで、初めていろんなことを喋った記憶があります。
────では、初めての共演は共にソロとしてのご出演だったのですね。
竜太朗 そうなんですよ。そして、それからしばらくしたらコロナ禍になっちゃってなかなか会う機会が持ててませんでしたからね。でも、最近はまたいろいろな場でちょこちょこ会うようになりました。
────umbrellaが今春で16周年を迎えたのに対して、竜太朗さんがプロとしてのキャリアをスタートされたPlastic Treeはメジャーデビュー30周年を迎える2027年に向け、現在は<Plastic Tree Phylogenetic Tree Live/Tour 2025-2027>を続行中です。やはり、唯さんからすると竜太朗さんはかなり存在感の大きい先輩ということになりますか。
唯 大きいも何も、僕がギター&ヴォーカルを始めたのは、Plastic Treeの「Sink」っていう曲のMVを観たのがきっかけやったんですよ。
────1999年8月に発売されたシングルのことですね。TVアニメ『金田一少年の事件簿』のED曲としても起用されていたので、当時はその方向からPlastic Treeのことを初めて知ったという方たちも多々いらっしゃったはずです。
唯 あの曲の何がすごかったかっていうと、当時はまだヴィジュアル系の界隈にギター&ヴォーカルっていうものがなかった時代でしたからね。竜太朗さんがギターを持って歌ってるっていう、あの姿がとにかく鮮烈だったんです。僕はもともとオルタナ系のバンドでギターをやっていて、そのバンドが解散してからヴィジュアル系のヴォーカルに転身しなあかんっていうタイミングがあったんですけど、ちょうど「この世界でギター&ヴォーカルってアリなんかな……?」って思ってた時に、あのMVを観てひとつの光を感じたんですよ。「あぁ、ギター&ヴォーカルでやってもいいんや!」って。
────以前、DEZERTの千秋さんも似たようなことを仰っていました。ヴィジュアル系のバンドでヴォーカルがギターを持って歌ってもいいんだ、と初めて感じたのはPlastic Treeの存在を知った時だったと。あの当時、そのような気付きを得たバンドマンたちが今シーンの第一線で活躍しているというのは実に感慨深い事実です。
唯 いやだって、めっちゃカッコ良かったですもん。「これはすげぇわ……」ってホントに驚きだったんです。

しばらくはバンドの活動と並行しながらギターの練習をしつつ、ある時期からようやくライヴで弾きながら歌うっていうことを始めました(竜太朗)
────振り返ってみると、Plastic Treeのメジャーデビュー後の3rdシングル「絶望の丘」以降は「トレモロ」「Sink」「ツメタイヒカリ」「スライド」「ロケット」と、竜太朗さんがギター&ヴォーカルのスタイルで撮られたMVが6作続いていましたので、あの時期にそのイメージが確立されたのは間違いないかと思われます。実際、あの頃は竜太朗さんの周りにギターを持って歌っている方はほかにいらっしゃいませんでしたよね?
竜太朗 自分と年代が近しいバンドではあまりいなかったです。ただ、自分からしたら最初にバンドをやろうと思った頃はまだ世の中にヴィジュアル系っていう言葉はなかったですけど、Zi:Kill(1987年結成)のTUSKさんはメイクもしてギターを持って歌ってて、憧れました。あとスライダーズ(THE STREET SLIDERS)のHARRYさんもギターを弾きながら歌ってたし、洋楽も含めて自分が好きだったバンドでは珍しいことではなかったんですよ。
────THE CUREのロバート・スミスさんしかり、Aztec Cameraのロディ・フレイムさんしかり、挙げれば確かにいろいろといらっしゃいます。
竜太朗 とはいえ、僕もPlastic Treeを始めた頃はまだギターを持って歌うっていうことはしてなかったんです。そのへんはうちのギター(ナカヤマアキラ)が厳しいんで、「人前で弾くならちゃんとやんないと!」って言われまして(苦笑)。僕としても「そうですよね」ということになり、しばらくはバンドの活動と並行しながらギターの練習をしつつ、ある時期からようやくライヴで弾きながら歌うっていうことを始めました。

唯 へぇー、そういう過程があったんですねぇ。
竜太朗 もともとバンドを始める前から、家にあった父親のアコースティックギターで弾き語りのコピーをしたりするのは好きだったんですよ。でも、改めてバンドで歌いながら弾くっていうことを自分でやるようになってからは、たとえば「ロバちゃんはこういうのを弾いてたんだ」みたいな発見が出てきたりして、そういうのも面白かったです。
唯 竜太朗さんっていうと、僕はセミアコのイメージがけっこう強くて。セミアコっていうギターに興味を持ち始めたきっかけも竜太朗さんだったんですよ。当時よく使ってらっしゃったのって、あれはCASINO(Epiphone CASINO)でしたよね?
竜太朗 そう、プラで一番最初に弾いてたのはCASINO。
唯 僕はもう、あれを観てCASINOをどれだけ探したか(笑)。
竜太朗 ほんと? あのCASINOは、千葉か東京かどこだったかは忘れちゃったけど楽器屋さんで普通に買ったよ。一応、中学の時スライダーズに憧れて一番最初に買ったSGとか、そのあと友だちにもらったテレキャスタイプのブルーフラワーっていう柄のサイケっぽいギターを自分で黒く塗装したのも持ってたけど、バンドで使うんだったら新しいの欲しいなと思って。確かあの時は正くんと一緒に楽器屋さん行って、CASINOが飾ってあったのを見た時に「ジョン・レノンも弾いてた」みたいなことがPOPに書いてあったから、ビートルズ大好きな俺としては「これだ」と思ったんですよ。正くんも「これはいいギターだよ」って言ってたから、迷わず買っちゃいました。だけど、後日スタジオに持っていって弾こうとしたらナカちゃんにすげーブーブー言われちゃって。
────何に対してダメ出しをされたのでしょう??
竜太朗 「そんな扱いにくいギターなんて買ってきて! ハウってばっかじゃねーか!!」って(笑)。
唯 あははは(笑)。
竜太朗 まぁ、実際に音を出してみるとボワーッとした感じだったのは事実だったし。「音に芯がない、芯が!」ってナカちゃんに散々言われて、それで今度は335(Gibson ES-335)に替えたんですよ。
唯 あの赤の335ですね。それも覚えてます。
────その後、竜太朗さんはご自身のカスタムモデル“夜想”も作られました。あれもセミアコですよね。あのギターを最初に作られたきっかけはなんだったのでしょう。
竜太朗 335は仙台のラジオの人がくれたもらいもので、音もあの赤いチェリーカラーも気に入ってたんですけど、たしかプラで初めて武道館(メジャーデビュー10周年記念公演として2007年9月8日に開催された<Plastic Treeワンマンライブ「ゼロ」>)をやる時だったかな。自分にとっての大切な節目を前にして、今度は自分で黒の335を買ったんですね。ところが、かなり大事に使ってたはずなのにその武道館の当日に突然パタッと倒れて、ヘッドが割れちゃったんです。しかも本番中に。
唯 マジか! そんなことあります??
竜太朗 さすがに俺もあれはすごいショックで、落ち込んじゃいました。そして、これは困ったなと思った時に周りをみたら、正くんもナカちゃんも自分のモデルを作ってて、なんか起きた時にはすぐ相談できる人もいるっていうことに気付いたんです。で、初武道館の打ち上げの時に「そうだ。俺も自分のモデル作りたいな」ってなったんですよ。
────そこまでの重大アクシデントがきっかけだったとは知りませんでした。
竜太朗 一応、それでも当面は黒の335も直して使ってましたけどね。でもやっぱり、いろいろ対応しきれないところが出てきたし、そこまでにいろんなギターを使ってみて自分なりに「こういうギターが理想だな」っていうイメージは掴めてたから、それをかたちにしていったのが“夜想”なんです。でも、これも完成までには結構時間がかかりました。作りたいって思ってから5年以上はかけたんじゃないかな。出来たのは10年くらい前だった気がします。
────ネット上には、2014年4月23日付けでメーカーであるEDWARDSから出されたプレスリリースが残っていますね。つまり発売されたのは12年前のことだったようです。
唯 このギターがまた、とっても素敵なんですよねぇ。
────唯さん自身は、使用楽器に対して主にどのようなこだわりを持っていらっしゃるのでしょうか。
唯 ヴィジュアル系の世界に入ってからは、アーティストモデルのカッコ良さっていうものにも惹かれるようになったんですけど、もともとはオーソドックスなギターが好きです。最初はテレキャスからスタートして、リッケンバッカーとかも持ってましたけど、それはほんまにお金がなかった時に売っちゃいました(苦笑)。まぁ、今もメインはやっぱりテレキャスかな。コロナ禍には念願のセミアコも買いましたね。おそらく45歳くらいのYAMAHAのセミアコで、それこそ赤の335のコピーモデルなんですよ。
竜太朗 あー、なんかそれ良さそうだね。
唯 楽器屋さんで買ったわけじゃなく、リサイクルショップの片隅で服とかに混じって置いてあったヤツだったんですよ。「これは!」と思って買いました。
竜太朗 わかる。俺もたまにそういうの買っちゃうから。なんか、楽器屋さんでもなんでもない雑貨屋さんとかリサイクルショップで出会ったのにピンとくる時ってあるよね。
唯 こんなのどこから仕入れて来たんやろ?みたいな(笑)。僕が買ったYAMAHAのセミアコも、ケースも何も付いてない状態だったのをそのまま車に乗せて帰りました。
────ギターといえば、竜太朗さんは今年のお誕生日に個人活動のサポートバンドであるDEMONSTRATIONsのGt.悠介(lynch./健康)さんからテレキャスをプレゼントされたそうではないですか。
竜太朗 それが、さっきちょっと話した“自分で黒く塗装した青いサイケ柄のテレキャス”の話と繋がるんですよ。結局、そのギターは俺が元の塗装を剥がさないまま勝手にカラースプレーでプシューってやっただけだったから、音とかどうでもいいですみたいな状態になっちゃってたんで(笑)、ずっとちゃんとした黒のテレキャスが欲しかったんですね。で、その話をいつだったか呑んでる時に悠介くんにしたら、「竜太朗さん、これどうですか?」って見せてくれた写真があったんですよ。「めっちゃカッコ良いじゃん!」となって、まずは1回その現物を弾いてみないとな、ってなりまして。
唯 ですよね。僕もCASINOを探してた時、写真とかだけでなかなか買えなかったのは「やっぱり、弾いてみないとわかんないよな」っていうのがあったからでした。
竜太朗 そのギターは大阪の楽器屋さんで扱ってたものだったんだよね。だから、スケジュール的に次のソロのツアーの大阪で悠介くんに「一緒に行こうよ」って言ったら「太朗さん、残念。売れちゃった」って言われて。でも、実はすでにそこから悠介劇場が始まってたんですよ(笑)。
唯 ってことはもしや?
────そうなんです。一連の流れを知って、悠介さんの超スパダリムーヴには驚きました。
竜太朗 俺の誕生日にやったライヴの時に「実は……」っていうことで、そのギターをプレゼントしてくれたっていうね。今はあのギターを弾いてると楽しいし、嬉しいし、似合う曲もいろいろあるんで、最近はソロでもプラでも弾かせてもらってます。



