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【KAKUMAY・真虎(Vo)】◆独占インタビュー◆今まで語ってこなかった真虎という像が持つ陰。俺は本当は強くない。肉親との壮絶な別れ、少年期に背負った十字架を吐露しながら、見据える先は未来────。
X JAPANがいなかったら、ヴィジュアル系がなかったら今の俺はどうなってるか想像もつかない。
────改めてですが、結果的に大成功とはいえリキッドルームはかなりの挑戦でしたよね。
真虎:挑戦でしたね。それがうちのスタイルだと思うし、ちょっと無理かもっていう決断をあえてする性格ですよね俺も。1回目のO-WESTの後はBLAZEとかが良いんじゃないかっていう大人の意見もあったんですけど、“いや、O-WESTソールドアウトするまで続ける”の方が難しくね?と思って。あそこでキャパを上げないことも挑戦だったし…ちょっといいですか?
────はい。どうぞ。
真虎:O-WEST完売させるまで続けるって思ってはいたんですけど、ステージで言う予定なかったんですよ。
────あははははは!勢い余って。
真虎:あの時は余計なこと言ったなと思いましたよ自分でも(笑)ステージ立つと出ちゃんうんですよね自然と(笑)まぁ、でもあれも言って良かったと思うし、後悔は全くないんですけど、我ながら毎回自分の首を絞めるなぁと。
────リキッドルームでも夢を言葉にすること”の意義をおっしゃってたじゃないですか。幼稚園の時は炊飯器、小学生の時は漫画家、中学生の時は美容師…で高校生になったら夢なんてなくなってたって。夢を再び言葉にし始めた芽生えって何だったんですか?
真虎:前やってたバンドでそういう目標を掲げたことがなかった後悔があったんでしょうね。だからKAKUMAYでは最初のライヴからずっと“Zepp Diver Cityでワンマンやる”って言ってるんですよね。もう後悔したくないんですよ。
────あの日終演後に流れたこれまでのダイジェストムービーでも、最初のライヴから節目のライヴ、至るところで真虎さんが“Zepp Diver Cityでワンマンやる!この発言をなかったことにしようなんて一度も思わない”って言ってるんですよ。この数年ずっと。
真虎:ねぇ、言ってましたね(笑)本当にずっと同じこと言ってるんだなって。
────来年2月6日には夢の場所に肉薄する“Zepp Shinjuku”に立つことも決まったわけなんですけど、その前にどうしても聞きたいことがあって、ゆいと。さんもインタビューで、真虎は強いって話をしていたのですが、リキッドのMCで真虎さん自身はもともと強い人間じゃなかったからこそ、誰の力も借りずに生きていける強い自分を創り上げたって語ってたんです。嫌な話かも知れないんですけど、音楽を始める前の真虎少年はどんな人だったんですか?
真虎:うん。とにかく恥ずかしがり屋で、人前に出ると泣きましたね。例えば小学生。自分が書いた作文を授業で発表する時とかも手が震えて涙が出ちゃうぐらいで。学校の中でクラスで代表一人選んで、校内のビデオの収録の歌を歌うみたいなのも泣いてました。中学生の頃は女の子たちからいじめられてましたし、それにやり返すことも出来なかった…本当に何だろう。…ヒエラルキーの一番下にいる人生だったんです。だから俺は弱かったっていうか。自分の気持ちも伝えられないし。
────今と真逆の像がもともとあったってことですよね。このKAKUMAY真虎になるために鎧を着込んで変えていったことがあると思うんですけど、MCでは“傍にいた人が急にいなくなって人生観が変わった”っていう話をしてたじゃないですか。
真虎:はい。
────その時に周りに頼らない人間になる、強くなるって決めたっていう。これって…
真虎:あぁ………そうですね、全然使っていいんですけど、俺、母子家庭でその母親が俺が高校1年から2年に上がるときに薬物で捕まったんですよ。同じ家庭にいるのに、俺、全然気づかなかったんですけど、その薬物とか。それで急に一人になって。起きたら手紙と現金7万円だけ置いてあったんですよテーブルの隙間みたいなところに。
────……。
真虎:年がかなり離れているお兄ちゃんの電話番号が書いてあったから電話して。当時俺札幌じゃなくて新潟に住んでたんですけど、お兄ちゃんが次の日には来てくれて、おじいちゃんおばあちゃんの家に引き取ってもらってまた札幌での生活が始まったんです。その時、俺体重80kgぐらいあっただけど、ダイエットもしてないのに気づいたら60kgとかになってて。
────憔悴しきっていた。多感な時期にあまりに辛い状況だと思います。
真虎:別に死のうとかそういうのとかではなくてなんか抜け殻状態みたいな、学校にも行かないし。その時にお兄ちゃんが、こういうのを見て暇でもつぶせよってポータブルDVDプレーヤー買ってくれたんですよ。部屋でも観れるように。いくつかあったDVDの中にX JAPANのコンプリート盤みたいなのがあったんですよ。それを観たら一気に夢中になって、せっかく痩せたことだし化粧してヴィジュアル系っぽくなりたいって目覚めた。情報とかも詳しくなってhideも昔は80kgぐらいあったっていう記事を読んで、それなら俺も頑張ろうって思ってギター買って、でも、ちんぷんかんぷんで全く弾けなくて、それでも生きる希望が生まれたんです。X JAPANがいなかったら、ヴィジュアル系がなかったら今の俺はどうなってるか想像もつかない。X JAPANとおじいちゃんおばあちゃんが自分のマインドに与えて影響は大きいですね。その時には、もう俺は誰の手も借りずに生きていく強い人間になればいいんだって決めたんです。
────その後、一人で生きていけるようになったからも変わることはなかったですか?
真虎:そうですね。外的要因に影響されたくなくて。強くなれば何も影響されることないというか。例えば、メンバーが脱退するとか、バンドの貯めてるお金が全部盗まれて詐欺に遭いましたとか…どんなことがあっても微動だにしたくないぐらい強くなりたいと思ってました。
────でも、最近の真虎さんを見ていると、KAKUMAYの活動を経て変化があると思うんです。どうですか?何か変わりましたか?
真虎:昨年の「IDOL」ツアーの時にバンド人生で初めて札幌でのライヴが入ったんですよ。そっか、俺が札幌でライヴするのかって不思議な感情だったんですけど…そこで親と再会したんですよね。そこからですかね。変わったとしたら。変わってるのかな。
────メッセージ性もバンド匂いもすごい“人間”って感じがするんです。それがリキッドではめちゃくちゃ色濃くなっていて。こんなに人間臭いライヴ…もちろん僕も感動した一人なんですけど、その理由は何だろうってここ数日ずっと探してたんですけど、その答えを知った気がします。
真虎:大きい出来事だったんだと思います、今は。